『あのころはフリードリヒがいた』ハンス・ペーター・リヒター~読書ブログ15

ドイツ、1961年(1945年に第二次世界大戦終結。戦後、16年たって、出版された本)

難易度 ★(誰もが読める文章なので、ぜひ読んでみてください!)


ナチスものです

あとがきによると、中学の教科書にも載ったらしいので、読んだことがある人もいるかもしれないです。わたしが読んだのは10年くらい前かなあ。あの衝撃はいまだに忘れられない。


舞台はヒトラー政権化のドイツ。同じアパートにゲルマン人とユダヤ人の一家が住んでいて、それぞれに同じ年の男の子がいて、二人は仲良しだったんですよ。でもヒトラーがいてね……この先は説明しなくても、わかると思います。もちろん楽しい話にはなりません……。


ヒトラーによるユダヤ人迫害については、小説や映画などでたびたび描かれていますよね。名作も多くて、わたしもたくさん読んで、観た。それらの作品の主役はたいてい迫害された側、迫害者を助けようとした側で、つまりユダヤ人やアメリカ人、フランス人などで、最後は悪のゲルマン系ドイツ人を打ち負かします。


そういう作品の中のゲルマン系ドイツ人は無機質なロボットのように描かれていることが多いんですよね。実際のナチス党員はそんなふうに見えていたのかな。無表情で人を殺したり、マッドサイエンティストで人体実験をしたり、とても人間のやることとは思えない。だから、ナチス党というのは狂った人間の集団なんだなとなんとなくイメージしていました。


主人公はゲルマン人一家

この本が他のナチスものと決定的にちがうのは、主人公がゲルマン系ドイツ人一家ってところだと思います。しかもヒトラーが政権を執る前の出来事から書かれているので、ドイツの日常生活がどんなふうに変わっていったのか、当時のドイツで何が起きていたのかがわかります。


この作品でユダヤ人の迫害に参加したのは、家主や新聞配達人やプールの管理人など、普通の人たち。軍人じゃないんです。しかもべつに強制されていやいややっているわけでもなく、自分が正しいことをしていると信じて、進んで迫害しています。


主人公のゲルマン人少年も「ハイル ヒトラー」と挨拶したり、暴動に参加したりするんですよ。ふだんはユダヤ人の友だちと仲良くして、力になっているのに~。


他の作品を観ていたとき、わたしはユダヤ人や反ナチス側に立っていたので、ナチスは向こう側の人というか、わたしには関係ない人たちだったんですよ。わたしだったら、あんな残酷なことはしない、と。でもこの本を読むと、一気にナチスがこちら側に来て、身近になってしまう気がしました。状況によっては、誰もが差別や迫害をしてしまうかもしれない、境界線はあいまいなんだな、と。


名無しの主人公

主人公の名前が書かれていないんです(探したけど、見当たらなかった)。主人公一家は「ぼく」「父」「母」で、具体的な誰かではないという印象です。一方、お友だちのユダヤ人一家は「シュナイダーさん」「フリードリヒ」という名前がついていて、ひんぱんに出てきます。こちらは特定の個人を書いている印象。ずいぶんと対照的な書かれ方なんですよね。


いろいろな出来事が起きるんだけど、「ぼく」の感想や意見はほとんど語られていません。これは良いことだとか悪いことだとかいうジャッジや、悲しいとか怒っているとかいう感情がない。「ぼく」が見た出来事を淡々と書いているだけです。


作者はどうしてこんな書き方をしたのかなあと考えてしまいました。


ユダヤ人に名前をつけたのは、ユダヤ人として全員をひとまとめにするのではなく、個人として見て欲しかったのかな? 一人ひとりを見れば、悪人じゃなくて隣人なんですよね。


主人公に名前をつけなかったのは、読者に自分のこととして感じて、考えて欲しかったのかな? 「ぼく」は読者のあなた自身ですよって言いたかったのかな?


個人的にはそんなふうに思ったんですけどね。


ナチスものは数あれど、加害者側から書かれた作品は本当に少ないので、貴重な作品だと思います。続編が2冊あるけど、やっぱり『フリードリヒ』の衝撃がいちばんでした。


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