『日の名残り』カズオ・イシグロ~読書ブログ13

イギリス、1989年(平成元年。29年後にノーベル文学賞を受賞されたんですね~)

難易度 ★★(純文学にしては、訳文が本当に読みやすい!)

ノーベル文学賞受賞おめでとうございます!

『日の名残り』は好きな作品で、いずれ紹介しようと思っていました。映画化された1993年当時、けっこう話題になっていたと記憶しています。それでわたしも読んだんですよ。だって人肉愛好家ハンニバル・レクター博士(『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンス)が今度は執事さんか~と思って(笑)。原作を読んだら、予想以上に胸にぐぐっと来ました。わたしが持っているのは中公文庫版なんですが、その後出版社を替えて、読まれ続けているんですね。やっぱり名作は息が長い!


読み返してみて、いろいろな読み方が楽しめる作品だなぁと思いました。主軸はスティーブンスという執事の人間像ですが、他に父子関係、ミス・ケントンとの関係、イギリスのお屋敷文化(TVドラマ『ダウントン・アビー』の世界)、世界大戦時代の歴史なども読みどころです。イギリスの田園風景の描写も美しいです。


さらに文学としての面白さのある、かなり計算された作品だと思います。なので、たまには文学っぽいことを書いてみます。


黄金パターンのストーリー

主人公はイギリスの老執事スティーブンス。彼はかつて一緒に働いていた女中頭ミス・ケントンを訪ねるために、自動車旅行に出かけます。道中自分の半生に起きたことを回想していく……というストーリー。


実はこれはみんなが大好きなストーリーです。すなわち主人公が、


起: 外部からの働きかけによって(ミス・ケントンから手紙をもらった)

承: 故郷を離れ(自動車旅行へ出かける)

転: いろいろな困難を乗り越え(旅での出来事)

結: 褒美を得る

   褒美には、結婚相手、財宝、平和、主人公の成長などのバリエーションがあります。


『桃太郎』も『白雪姫』も『ロード・オブ・ザ・リング』も、わたしが今まで紹介した『ハティのはてしない空』『荊の城』『深夜プラス1』もこのパターン。物語はこうでなくちゃねと思います! (物語のパターンについて詳しく知りたい方は、『昔話の形態学』を読んでみてくださいね)


スティーブンスは超真面目な執事さんで、お休みの日さえもお屋敷の外に出ない生活をしていました。そんな彼が初めて旅に出るわけですよ! なじみの狭い世界から未知の世界に出るという舞台の転換は、彼に大きな変化をもたらす装置となっています。言い換えると、お屋敷の中にい続けていたら、彼の変化はなかったのです。


回想という手法

この作品では、スティーブンスが旅をしながら、過去を回想していきます。この回想という手法を使うことで、イギリスのお屋敷文化、世界大戦時の歴史、政治などのモチーフを自然に組み込むことに成功しています。


そして読んだ方はわかると思うのですが、スティーブンスは本当に回想、回想、回想ばっかりしているんですね~。これは彼が「後ろを向いている」人間であることを暗示しています。これは作品の重要なテーマに関わっています。


一人称文学ならではの面白さ

本作は一人称で書かれています。つまり「私」という、スティーブンスの視点からのみで書かれた作品です。


人称のちがいとは、こんな感じです。


一人称: かつて、私のもとで十七人の雇人が働いていたことがあります。

三人称: かつて、スティーブンスのもとで十七人の雇人が働いていたことがありました。


一人称のほうが主人公を身近に感じられるんですよね。わたしたち日本人が、おかたいイギリスの老執事さんの心情にすっと入りこめ、共感できるのは、この一人称によるところが大きいと思います。もし三人称だったら、人情味に欠ける主人公になってしまい、感情移入しにくくなるのでは?と思います。


もうひとつ、この語り口の特徴は真面目さ、堅苦しさ、礼儀正しさ。作者が主人公の性格を「スティーブンスは生真面目で、堅苦しく、礼儀正しい性格であった。」などといちいち書かなくても、読者はこの語り口だけで、「真面目で堅苦しい人ねえ。でもイギリス貴族の執事ってさすが礼儀正しいわ」と勝手に思ってくれます。人物紹介がいらなくなる上、「真面目な性格」という言葉で書くよりも雄弁です。


信用できない語り手

スティーブンスは「誤解なきように願いたいのは」「じつは告白せねばなりませんが」などと言っていて、最初はなかなか誠実な人柄の主人公ねと思ったのですが……。


副執事の父親の老いから目をそむけようとするスティーブンスと、彼に現実を直視させようとするミス・ケントンの対決シーンがあります。ミス・ケントンからはっきりと「お父さまにはもう無理な仕事がいくつもあるのですわ」と言われるまで、スティーブンスは現実を認めず、逃げつづけていました。


このシーンは誠実な人にしてはちょっとおかしいな……と思うでしょ。さらに、


倒れた父親が「わしはよい父親だったろうか? そうだったらいいが……」とスティーブンスに問いかけるシーンがあります。でもスティーブンスは明確に答えません。父親に返事しなかっただけではなく、心の中でも、つまり読者に対しても沈黙し、場面を切り替えてしまいます。


語り手は嘘をつく、常に本心を明かしているとは限らないという文学手法を「信用できない語り手」と言います。語り手の言葉と事実にはズレがあるんですね。


そんなわけで、スティーブンスは本当に信用できない男よ~。たしかに真面目だけど、だまされちゃだめよ~(笑)。読み進めていくうちに、彼の言葉のほころびが見えてくるのですが、そこにこそ彼の葛藤があり、生き方があり、ラストシーンにつながっていきます。そのほころびの見せ方、配置が見事、ラストの収束も見事! ノーベル文学賞受賞だから、このくらい当然なのかしらね~。


もうかなりのネタバレなので、ここまでにしますね。今回はわたしなりに文学っぽいブログを書いてみました。作者がひそかに落としこんだ文学手法を探し、読み解くのは、文学の楽しい読み方のひとつだと思います。作者が作品にこめたメッセージを理解する助けになるからです。


と言いつつ、読んで心が動くのが読書の醍醐味。そして他の方もAmazonなどのレビューで書かれているけど、この作品は翻訳もすばらしくて、誰もが素直に読めて、感動できると思います。おすすめ! 


★ 人気ブログランキングに参加しています。面白かったら、クリックしてくださいね。






東原恵実's 小説あれこれ

『裏切りへの贈り物』『懺悔の城』(講談社X文庫刊)の続編、その他の作品情報、執筆状況、 読書ブログ「海外小説を読もう!」をご紹介しています。

0コメント

  • 1000 / 1000